消えた九谷焼と窯のはじまり

消えた九谷焼と窯のはじまり

今回は九谷焼の窯の六代目として、若い感性をいかんなく発揮している「上出長右衛門窯」の上出惠悟さんに会いに、石川県能美市を訪れました。

SOUQ
九谷焼といえば金沢というイメージがありますが、実際どのような範囲でつくられているのですか?

上出
金沢よりも南側に産地が点在していて、金沢で焼いている人もいるし、能美市、小松市、加賀市で焼いている人もいる。金沢はどちらかといえば消費地という感じがします。もともとの発祥は加賀なんですよ。

SOUQ
山代とか山中のあるところですね。

上出
そうです。大聖寺川という川があって、それに沿ってずっと山を上がっていくと九谷村という集落があります。そこで大聖寺藩の大名の命令でつくっていたと言われるのが九谷焼。今でいうと古九谷って言うんですけど。



SOUQ
古九谷? 古伊万里みたいなものですかね?

上出
理由はあとで話しますが、ちょっと違うかもしれません。古九谷は360年前に九谷村で始まって50年間焼いてたんだけど突然廃窯して、以降100年間九谷焼はつくられませんでした。

SOUQ
そんなにつくられてなかった時期があったんですか?

上出
有田焼が去年開窯400年だったんですけど、九谷も360年の歴史があって、日本で2番目に磁器をつくった産地とされているんですが、九谷が再び焼かれるようになった頃には、砥部や瀬戸などいろんなところで磁器が焼かれていたんですよ。

SOUQ
100年も焼いていない時期があって、よく復活しましたね。

上出
再興九谷のはじまりは、江戸末期に金沢で始まって。加賀藩の前田家の御用窯という感じで春日山窯というのができたのが、一番最初と言われています。そこから各地に飛び火しながらいろんな窯が生まれて、流行のものやいろんな様式を取り入れながら、独自の文化をつくり、いまに至るという感じでしょうか。



SOUQ
古九谷というのは残ってないんですか?

上出
残ってないというか、手放す人が少ないので、めったに市場に出ないそうです。つくられたのは50年間だけなので生産量もすごく少なくて、骨董的価値が高いです。なぜなら古九谷は時が経ってもこれ以上増えないから。その点で古伊万里とは少し違うと言いました。

SOUQ
そうやって途中で途絶えた焼き物の歴史ってほかにないですよね。

上出
珍しいんじゃないでしょうか。資料などもあまり残ってないし、当時のことを聞きたくても聞けないので、九谷焼に従事する人はそれぞれが各自の九谷を心に想っている。なにかに想いを馳せるってことは、いいエネルギーになるんじゃないかなと思うんですよね。だから断絶してしまった寂しさももちろんありますが、それをいい方向に変えられる気がしていて。なんでなくなったのか? どういう人がつくっていたのか? いろんな想像ができて、それがクリエイティブなものにつながるような気がします。



SOUQ
なぜなくなったのかという理由は、わかってないんですね。

上出
藩の財政難や幕府の干渉、中心人物の死など諸説あります。

SOUQ
「上出長右衛門窯」の創業はいつですか?

上出
明治12年ですね。

SOUQ
ということは再興九谷が始まった頃の創業?

上出
再興九谷が始まって、能美市でもいくつか窯ができました。中興の祖と言われている九谷庄三(しょうざ)は門弟300人の大きな工房をもったり、九谷焼が盛んになってきました。明治20年ごろ、生産量の80%が輸出され日本の陶磁器の中でも全国で1位だった時期が一瞬だけあったそうなんですが、その頃の創業です。



SOUQ
それはすごいですね。

上出
そうなると商人とかがたくさんこの地に来てにぎわった。でも、つくれば売れるとなると、たちまち粗悪品をいっぱいつくって繁栄は一瞬で過ぎ去ったと聞いています。というかそもそも大量生産できる産地ではなかったんだと思います。明治12年だと、盛り上がっている時期だと思うんですけど、うちは旅籠をやっていて…。

SOUQ
旅館業?そうなんですね。

上出
このへん一帯は旧町名を寺井町というんですけど、そこに何軒か旅籠があったうちの一軒で。近くに手取川という大きな川が流れていて、川に橋がなかった時代は宿場として機能していたんだけど、橋がかかると人が留まらなくなって、旅籠がだんだんヒマになっていったんじゃないかなと。予想ですよ僕の。

SOUQ
おそらくその推測は当たってるんじゃないですか。



上出
それと、これは祖父から聞いた話ですが、当時も富山の薬売りが日本全国を回っていて。彼らを介して九谷焼も売ってもらっていたみたいなんですよね。実際に何年か前に東北へ行ったとき、年季の入った蕎麦屋に入ったら、明治期の九谷焼がガラス棚に飾ってあったり。私営の小さな博物館でも九谷焼の徳利や急須が置いてあったり。いろんなところに古い九谷焼が置いてあったんですよ。

SOUQ
それは意外な発見ですね。

上出
明治の初めに、薬売りが東北の豪商とかに行ったとき、「あんた富山やろ。隣の九谷焼、今度持って来てや。徳利何本か持ってきたら買うから」なんて、そういうやりとりがあったんじゃないかなと。これもあくまでも予想ですけど。

SOUQ
旦那衆とのやりとりが目に浮かびます(笑)

上出
うちが薬売りに九谷焼を売って、それを薬売りが各地に売りに行って。それがだんだん大きくなって、可能性を見い出したのか。それで、うちはだんだん比重を旅籠業から九谷焼に移していったんだと思います。本格的にやったのは二代目からで、初代はほとんどの人生を旅籠屋として生きたそうです。

SOUQ
富山の薬売りが、「上出長右衛門窯」誕生の由縁だったかもしれないんですね。

SOUQ
「上出長右衛門窯」というと、やはり「笛吹」の絵が印象的です。それを惠悟さんが、いろんな楽器やラジカセを持たせたり、新しい感覚でアレンジされたのですか?
上出
そうですね。笛吹は70年ぐらい「上出長右衛門窯」で描いているモチーフです。元々は明時代の古染付の柄です。古染付って日本人がすごく好きな焼き物で。

SOUQ
古染付ってどういうものなんですかね?

上出
昔、中国に明という王朝があって、磁器というのは官窯、日本だと藩営って言ったりするんですけど、国や政府がつくっていたところが多くて。ヨーロッパでもロイヤルコペンハーゲンとか、名前からしてわかりやすいですよね。

SOUQ
なるほど、王室御用窯ですね。



上出
中国もそうで、景徳鎮自体が王朝の御用窯という存在で、たくさんの注文を担っていたみたいなんですけど、王朝が弱ってくるとそれも廃止され、民窯が力を持った。国の命でつくっていたときほどいい素材は使えないけど、そのぶんのびのびと自由に絵が描けたりとか。それまでに比べると絵が楽しそうなんですよ。

SOUQ
それは、お上からの規制があるということですか?

上出
規制というか、すごい数の注文で、かなり法外な労働をさせられていたそうです。陶工たちはそういう苦しみから解放されて、野放しで自由奔放に絵が描けたようです。それらの染付のうつわを古染付って日本では呼んでいて。質が悪いので、釉薬がちゃんとのっていなかったり、歪んでたりしている。でもそれが日本人の美意識にはまった。茶人に好まれたようです。産地である中国にはあまり残っていなくて、日本に多く残っています。



SOUQ
その古染付の一つの柄が笛吹ということですね。

上出
そうです。祖父が笛吹という柄がすごく好きで、うちでも描き始めたんです。そして70年ぐらいずっと描き続けていると世代が変わるごとに、伝言ゲームみたいにちょっとづつ絵が変わっていったりして。

SOUQ
70年前とは微妙に違っているんですね?

上出
はい。それがすごくおもしろいなあと思っているんですけど。なんてことない絵が少しづつ変化しつつ、その時代時代の人に受け入れられる。日本酒に詳しい友人が、日本酒は飲む人に寄り添うお酒だと言っていて。

SOUQ
今度は日本酒に話が飛びましたね(笑)。

上出
失恋とかして悲しいときに飲むとより一層悲しくなる。みんなでワイワイ飲むともっと楽しくなる。そういう性質が日本酒にはあるという話をしていて。僕らのつくるうつわも使う人の心に寄り添うものかもしれないって思ったんです。

SOUQ
いいですね、“人の心に寄り添ううつわ”。

上出
笛吹がうちのロングセラーになったのは冠婚葬祭いつでも客人に出せるという点だったみたいで。つまり笛吹の表情なんかも、そのときその人の心のありようが反映されるようなところがあるんじゃないかと思って。手で描いているので、一点一点個体差もあるし。それがなんかすごく貴重というか、あまりないことなんじゃないか。それを大事にしたいと思っています。



SOUQ
笛以外の楽器を持たせたのは、どうしてですか?

上出
僕は生まれてから20数年かかってようやく笛吹のよさがわかったんですよ。家では食卓に出たりもしてたんですけど、生まれた時からあると客観的には見れないじゃないですか? だから笛吹のよさに気づくのに結構時間がかかったんですけど。やっぱり自分と同じような若い人に伝統柄の湯呑のよさを知ってもらうのって結構難しくて、それで持たせる楽器を変えたら興味を持つきっかけになるんじゃないかなと思ったのが最初に考えたことですきっかけ。でもちょっと過剰だなと思っていて、今後は笛吹一本でやっていけたらいいなと実は思っています。

SOUQ
これからも笛吹はつくり続けるということですね。

上出
何気ない絵柄なんですが、何気ないものをつくるのって難しくて。明代から日本人に愛されて消えないで残ってきたものの強さってあると思うんですよね。そういう意味で、今から400年後も愛されるような普遍性があるものをつくろうとしても簡単なことじゃない。



SOUQ
笛吹は、ほかの窯ではそれほど描かれてないんですか?

上出
多分、すごく王道的な古典柄というわけではないとは思います。

SOUQ
じゃあ「上出長右衛門窯」の代名詞的な絵柄ですね?
上出
そう感じていただいている人も多いと思うし、僕自身笛吹がすごく好きなので、アイコンのように使ってきているところもあります。僕が家業を継ごうと思ったのも、笛吹があったからというところも少なからずあります。原点ですね。

SOUQ
「上出長右衛門窯」では、スペインのデザイナー、ハイメ・アジョンとコラボレーションした作品もありますが、それはどういうきっかけだったんでしょう?

上出
ハイメとは、2008年に僕が長右衛門窯の展覧会をしたときに出会って。当時「リアドロ」という陶人形メーカーのアートディレクターをしていた彼が、隣で展示をしてたんです。

SOUQ
なんという偶然! 運命的な出会いですね。

上出
そのとき初めて彼のことを知って、「こんなデザイナーが世の中にいたんだ」とすごく感激したんですよ。



SOUQ
どんなところに感銘を受けたんでしょうか。

上出
おもしろいなと思ったのは、彼がたくさんの絵を描く人だったということです。それもとても素敵な絵を。そしてその絵からそのままプロダクトが生まれてくる感じなんですよ。それがとてもよくって。

SOUQ
手描きのものだったんですね。

上出
昔は、日本画家が企業やお店のパッケージを手がけたり、専門性が今ほどなかったので違うジャンルの仕事をしたりって普通だったと思うんですけど、ハイメは絵を描く延長で家具をデザインしたり、ジャンルを自然な感じで飛び越しているように思えたんです。九谷焼の特徴っていろいろあるんですけど、一つ共通するのは、“絵がある焼き物”だということじゃないですか。

SOUQ
ほとんどのうつわに絵が描かれていますよね。



上出
九谷焼の絵付師は画工とも言って、本質的には画家なんですね。昔から九谷は絵を離れずって言うんですが、近年の取り組みとして九谷焼とデザイナーがうまくいったプロジェクトって実は少なくて、いまって絵が描けなくてもコンピュータがあればデザイン自体はできると思うんですけど、手を使わないと絵は生まれない。

SOUQ
パソコンでのデザインは、ある程度パターン化するんですかね?

上出
僕たちがやりたかったことって、新しい考え方や他分野への技術の転用とかではなくて、これまで何十年も続けてきたこと。いつまでも新鮮さを失わない普遍的な割烹食器をつくりたいってことなんです。そういう意味でハイメ・アジョンという人はすごく可能性があるなと思ったんですよ。彼は当時“アーティデザイナー”と名乗っていました。

SOUQ
アーティストとデザイナーのミックスですかね?

上出
はい。造語だと思うんですけど。そのときハイメは大きな会社と仕事をしていたので、うちみたいな小さいところとなんてやってくれないんじゃないかと思ってたんですけど、実は彼は日本が好きで、有名になる前から日本に遊びにきてたらしくて、そのときの友達なんかが東京にいて、たまたま共通の友人だったりして…わりとトントン拍子にことが進んで、正式にオファーしたら「OK」と。僕らはお金ないよって言っても、「日本との仕事に興味がある」と、それで翌年の2009年にスタートしました。



SOUQ
すごくいい縁でしたね。

上出
彼から最初にイメージ画が送られてきたとき、そこにCHOEMONと書いてあって、それだけですごく感激して(笑)。そこから父親をなんとか説得しました。そこからは友達みたいな感じでプロジェクトは始まりましたね。

SOUQ
ハイメさんは、他の国でもコラボレーションはしていたのですか?

上出
さっきも言った「リアドロ」や「フリッツ・ハンセン」、「バカラ」とかと仕事をしていました。それらすべてのプロジェクトで彼はすごい量の絵を描く。カラフルな絵なんです。九谷焼のデザインをしてもらうのに、すごくいいなあと僕は思っていました。

SOUQ
日本の磁器としては、かなり個性的な絵付けですもんね。



上出
ハイメはスペイン人なんですけど、僕の父親がスペインの画家のミロがすごく好きで、家に版画が何枚かあったんです。そういうものに囲まれて育ったので、スペインの陽気な感じが好きで、大学1年の時に初めて海外旅行へ行った先もスペインでした。自分の感覚の中にあの国の色やトーンやタッチがあったんだと思うんですけど、ハイメ・アジョンの作品を初めて見たときも少し懐かしい感じもして。
SOUQ
コラボレーションをした作品は、染付が多いですね。

上出
言葉の壁もあったので、あれもこれもできますって言うと収拾がつかなくなるんじゃないかと恐れていたところもあったんですね。だからシンプルにさせてもらって、染付を基本に、色はアクセント程度でってルールを決めてオーダーをしたんですよ。ただ彼も同時に、僕らのうつわを見て、長右衛門はブルーだと直感的に思ってくれていたので、お互いの想いは一致しました。

SOUQ
惠悟さんは東京藝術大学出身ですが、大学時代はどういう勉強をされてたんですか?

上出
僕は油絵科に在籍していたんですけど、在学中はほとんど作品をつくっていなくて。大学にもあまり行かず、作家さんのお手伝いとかトークイベントのスタッフなどを学外でしていました。ブッキングをしたり、告知のポスターやフライヤーをつくって、トークを記録したりしていました。映像を撮ったりもしました。こういったイベントの企画に携わったことは、いまの自分にとっては、すごく役立っていると思いますね。

SOUQ
プロデューサー的な活動ですね。それは、いま「上出長右衛門窯」でも続いているのかなあという気もします。伝統に縛られず、すごく新しいことにチャレンジしたり、いろんなところに出て行かれたり。



上出
いろんなことに興味があるだけで、自分にプロデュース力があるとは思わないですけどね。大学在学中にプロデュースみたいなものを学んだつもりも全然ないです。

SOUQ
とすると、学生時代には制作はあまりしてなかったんですか?

上出
はい。東京藝大は、やっぱりモノをつくってナンボの世界だったので、先生からは「上出くん、キミはなにしてるんだ?」って白い目で見られてました(笑)。僕もそれに関してはすごい劣等感があって。実はうちは母の実家も九谷焼を生業にしている家なんですが、大学に入ったときに母方の祖父が病床だったんですけど、合格をすごく喜んでくれたんですよ。

SOUQ
なかなか簡単に入れる大学じゃないですからね。



上出
何もしていなかったわけではないのですが、大学から見たらちゃらんぽらんな学生と見られていて。でも祖父の顔を思い浮かべると、そのまま卒業するのもなんだなと思って、ちゃんとなにか作品をつくってから卒業しようと。でも、そう思ったときはもう大学3年で、4年に入るとすぐに卒業制作なので、それには時間が足りないと思い、1年間休学させてもらいました。

SOUQ
休学中は、どうされていたのですか?

上出
実家がある能美市に帰ってきていました。そして九谷焼の現状をリサーチしたり、九谷焼ができるまでの流れを肌身で感じながら、徐々に自分でもなにかつくってみようと粘土に触れるようになりました。それで翌年、卒業制作を九谷焼でつくることになったんです。

SOUQ
卒業されてからは、すぐ能美に戻ってこられたのですか?

上出
そうですね。自分の興味も工芸やものづくりの方へ向いていったので、すぐに戻りました。経営状態もよくなかったので、時間がないなとも感じていましたね。

SOUQ
「上出長右衛門窯」では、惠悟さんも絵も描いてらっしゃるんですか?

上出
自分で絵付けはしてなくて、絵付師さんがしています。僕は全体的なものを見ながら方向性を決めていったり、アートディレクターに近いですかね。デザインをして指示をして、全体をまとめていく。



SOUQ
窯の仕事以外にも、コペンハーゲンの茶葉店のアイコンをデザインされたり、高知で映画監督の安藤桃子さんが営むギャラリーでの展示に参加されたり国内外で活躍されています。

上出
音楽や映画も好きだし、アートはもちろんさまざまな文化や歴史など、わりといろんなことに興味があるほうだと思います。九谷焼って絵で表現するものなので、いわばなんでも表現できるし、なにとでもつながることができるメディアだと思うんです。だからなるべくいろんなことに関心を持ち続けたい。

SOUQ
本当にその通りだと思います。

上出
職人として一つのことを追求するのは、それはそれですばらしいことで敬意を持っていますが、それだけではいけないと思います。続けていれば行き詰まることは必ずあって、その答えは思わぬところに落ちていたりすると思いますし。僕たちはグループなので人間性も大切です。それに黙っていても仕事がもらえる時代ではなくなりました。昔より広い視野が必要です。



SOUQ
古典の新解釈や海外アーティストとのコラボなど、惠悟さんらしくどんどん新しいことを試みてらっしゃいますが、これからやろうとしていることはありますか?

上出
今までは笛吹みたいに、アレンジというか、古くから続くものをもう一度新鮮な視点で見てもらうための仕掛けづくりをしてきました。でも今は次世代の笛吹のような普遍性のあるものを自分たちでつくりたいというふうに思っていて。

SOUQ
長く残っていくようなものですね。

上出
伝統的なもののよさとか雰囲気とか考え方とか、磁器の歴史の流れの中にいながら新しいことをやりたい。ハイメはいろんな意味で外の人なので、彼の視点で見た景色というのがあったんですが、今度は僕たちにしかできないことをやりたい。同じ流れの中で新しくて普遍性を感じるものをつくることはあまり誰もやっていない気がしていて。今はそういうものをつくりたいという想いが強いですね。



SOUQ
伝統はちゃんと受け継ぎながら、何か新しい要素を加えるということですかね?

上出
それはわかる人が見たら「わー新しい!」ってなるかもしれないけど、全然知らない人が見ると、「これ昔からあったんですか?」と言うようななにげないものかもしれません。みんなが安心して受け入れられるものをつくりたい。最近ようやく環境が整って、新作をつくり始めてるんですよ。

SOUQ
その新作はどういうものですか?

上出
犬の形の皿をつくりました。犬を飼ってるんですけど、犬の夢を見て。夢を見ている最中から、古染付のお皿が頭に浮かんでいて。夢ってすぐ忘れちゃうんで起きてすぐ絵を描いて、それを職人に「今度はこれをつくろう」って見せながらイメージを伝え、原型をつくり始めました。夢を見たのが2018年の1月11日で、戌年のワンワンワンだったんですよ(笑)。