今回は、凛とした空気をまとった白磁のうつわを展開する「SIONE」を紹介します。絵付け師としてだけでなく、デザイナー、そしてプロデューサーとしてもマルチに活躍する河原尚子さん。秋も深まる頃、銀閣寺のショップ兼工房にお邪魔しました。
SOUQ
とても京都らしい素敵なお店ですね。オープンはいつでしたっけ。
河原
2016年の6月ですね。1階がショップとカフェ、2階が工房になっています。
SOUQ
この場所を選ばれた理由は?
河原
一言でいうと、ご縁ですかね。前は烏丸御池の「新風館」にあったんですけど、建て替えが決まっていたので、ずっと物件を探していたんですよ。できたら街中がよかったんですが、なかなかなくて一年半ぐらいずっと探していて。
SOUQ
確か、「新風館」はショップだけでしたよね。
河原
工房は店から3分ぐらい歩いた所にあって。
SOUQ
えぇ、あんな街中に!?
河原
そうなんです。烏丸御池あがったところのテナントビルの5階で。マンガミュージアムの真向かいです。
SOUQ
陶芸家の工房というと、街中からはちょっと離れた場所にあるイメージだったので意外です。
河原
街中で便利はとてもよかったのですが、店と離れていたので、店と制作場のスタッフの意志疎通が少し不便だなぁと思うところもありまして。スタッフ同士のコミュニケーションというか心の交わりを一番大事にしているので、徒歩3分でもちょっと遠いんですよね。
SOUQ
なるほど。
河原
なので、次は工房も一緒にするのを大前提に探していたんです。それに、うちの店はゆっくりうつわを見たり手にとったりしながら、できればそれを使う空間があったらいいなと。だったら、街中じゃなくてもいいかなと思って。で、探している範囲を広げてみたら、この物件がぽんっと出てきたんです。
SOUQ
即決だったんですか?
河原
いや、想定していたより広かったので最初はスルーしていたんですけど、なぜだか気になってもう一回来てみたら、すごくよくて。そう、ここは元々、旅館の物件なんですよ。
SOUQ
そうなんですね。言われてみると当時の面影が。
河原
旅館にしてはこじんまりなんですが、旅館がうちの隣も、そしてその隣の「ふろうえん」さんも元旅館で。ほら、近くに銀閣寺さんがあるから。
SOUQ
あ、確か、銭湯の銀閣寺湯もこの並びですよね。
河原
銀閣寺湯さんは、うちが来る前に閉まっちゃって。でもここはそういう気持ちいい土地で、お客さんがここに宿泊して英気を養って出て行っていた場所なんだと。だったら、これからやりたい空気づくりとよく似ているかもしれないと思って。そんなことを考えながらお庭を眺めていたら、すごく光がきれいで、風もふわっと入ってきて。作品のモチーフにもよく使っているんですけど、私にとって“風”ってすごく重要で。「あぁ、なんかここはいいかも」と思ってチャレンジしてみたんです。
SOUQ
本当、ご縁ですね。
河原
不思議ですよね。一度はスルーしたのに。
SOUQ
カフェの構想も前からあったんですか?
河原
はい。使ってもらってよさを感じてもらってから買っていただくという流れが理想だなと。こだわりのお茶をだして、身も心もリフレッシュしていただけるような場にしたいなと思って。
SOUQ
先ほど「英気を養う」というお話がありましたけど、そこにもつながってくるわけですね。
河原
そうそう。
SOUQ
実際に接客されることもあったり?
河原
はい、たまにします。最近は忙しくて店に立てていないですけど、お客様とお話するのは大好きで。
SOUQ
買い手からすると、作家さんとお話する機会はそうないので嬉しいですね。
河原
「このお客様はどういうことを知りたいのかな」なんて想像しながら接客していると、それが制作に反映されることもあります。それに、何より“現場”が好きなんですよね。
SOUQ
ご実家は京焼の窯元とうかがいました。
河原
はい。330年続いている窯元なのですが、先祖に宮川香山という陶工がいて、私が一番影響を受けた作家なんです。横浜に移り住んで、土から全部探して輸出用のうつわをつくったという偉人で。その流れで京都は続いていまして、父で6代目になります。
SOUQ
どんなところで育たれたんですか?
河原
小さいころは職人さんがいっぱいいて、居間にはいつもだれかの目がある生活でした。
SOUQ
うつわがすぐそばにある環境で育ったんですね。
河原
修業で一時、家を出ましたけど、結婚するまではほぼ実家に。
SOUQ
大学は京都の美大?
河原
いや、日本文学部なんです。
SOUQ
あ、てっきり美大かと。
河原
父親から「焼きものはやるな」と言われて育ってきたので。
SOUQ
えぇー(驚)。
河原
親族に焼きもの屋がめちゃくちゃ多いんですよ。ほぼ全員みたいな感じで。兄もいるので、だったらお金持ちのところにでも嫁いでくれたらと父が。
SOUQ
箱入り娘だ。
河原
でも、あまりそういう感じでは育たなかったみたいで(笑)。
SOUQ
反抗期じゃないですけど、私も何かをつくりたいと。
河原
幸せは1つじゃないと思ったんですね。嫁いでその家を守るというのもいいですけど、自分に力をつけたいという独立精神みたいなものが芽生えて。
SOUQ
なるほどー。「自由にしろ」って言われてたらまた違ったかもですね。
河原
そうですね! それはあるかもしれない。
SOUQ
あ、でも、小さい時にお手伝いとかは。絵付けの真似事とか。
河原
土で粘度遊びとかはしていました。でも、母の時代は、女は工房に入るな!という感じだったみたいで。不思議な家でしたね。他の窯元ともちょっと違うと思います。でも、私の中の何分の一かは実家でできあがっているから、そういう経験をさせてもらったことをありがたいと思っています。
SOUQ
では、大学を卒業してから佐賀県に?
河原
あ、それは違うんです。短大では日本文学を学んでいたんですけど、卒業後にどうするかとなって。でも、「焼きものはやるな」って言われて育ってきたので、それだけはやってはいけないと思っていたんですよ。こう見えて、実はとても素直なので…(笑)。
SOUQ
幼少期から刷り込まれていたら、どうしてもね。
河原
そうなんですよ。でも手に職をつけたくなったので、美容院でバイトをしたりしてて。で、その当時、すごく仲のよかった友人のお父さんから「あんたの家は窯元らしいな、なんであんたは焼きものやらへんの?」って言われて。あー、でもーって言ってたら、「やったらえぇよ。こんなにありとあらゆる技法があるんやで」といろいろ教えてくださって。
SOUQ
その方は陶芸の関係の方だったんですか?
河原
いや、そうではないんです。プロダクトデザイナーの方なんですけど、その方が言ってくださったことが、心にぽんと響いて。
SOUQ
なんでやらないの?という言葉が。
河原
そう、すごくシンプルな問いですよね。やっていいんやって。それですぐに家に帰って、父にやりたいんやけどって話をしたら、「えぇ!お前にできるか」とか言ってましたけど(笑)、顔はちょっと笑っていたので、大丈夫かなと思って。それで卒業後に京都の陶芸の訓練校で2年、釉薬や絵付けを学びました。
SOUQ
作家としてのスタートラインに立ったんですね。
河原
でも、2年後にまた悩むんですよ。実家では家の腰掛け的に絵付けを習って、お見合いみたいな雰囲気になっていたから。
SOUQ
お父さん、よっぽどお嫁に行って欲しかったんですね(笑)。
SOUQ
佐賀県の有田で修業されていますが、そのきっかけは?
河原
京都だと結局は窯元の娘がきたといって修業にならないから、だったら出る方向で考えてみようと思ったんです。それで検索を…。
SOUQ
検索ワードは「絵付け師」とか?
河原
いや(笑)。まずは窯元の検索ですね。でもその当時は窯元でホームページを持っているところってそもそも少なくて。絵付けだったので九谷と有田を中心に探していて、有田で仏画の陶彩画を描く草場一壽先生に辿り着いたんです。技術も色もすごく惹き付けられるものがあって。工房があるのは佐賀県の武雄という街なんですけど。駅に降り立ったら、そこもすごく風が気持ち良くて。ここにはなんか全部がある気がするわと思って、弟子入りをお願いしたんです。
SOUQ
何年、師事されていたんでしょう。
河原
最初は3年のつもりだったんですが、2年間です。京都で日本文化のことも学びたいという気持ちが膨らんできて。絶対に有田と京都の橋渡しというか、そういう仕事ができるように頑張りますので、と先生にお願いして。
SOUQ
それで京都に戻られたんですね。
河原
はい。でも、本当に向こうでは叩き上げなんですよ。私も仏画を描いていたんですが、拝まれたり涙を流される方がいらっしゃるのを見て、もっと本腰を入れて描かないといけないと。なので、滝行をしたり山に登って一人で野点をするみたいな、休日はまるで修行僧のような時間を過ごしていて。
SOUQ
滝行! それは濃密な時間ですね。もはや修験道。
河原
いたのは2年ですが、10年ぐらいいたような気がしています。帰ると父から、それだけの修業をしてきたんだったら「家を手伝うな」と言われて。
SOUQ
手伝えじゃなくて、手伝うな、ですか(混乱)。
河原
「一人でやって、売れるものつくっていけよ」って。売れるものってなんやろうと考えながら、有田で自分の心を癒してくれた草花とかを描き始めたんです。売れるというのは「人の心」に答えがあることなので、私はもっとデザインを勉強しないといけないと思って、次はグラフィックデザインの会社に。そして、その間に実家がやっていたことを思い出すんですけど。
SOUQ
お茶にまつわることですか?
河原
そうです。ある時、目の前にあるコーヒーカップに名前がついていないのはすごくもったいないなと思って。ほら、抹茶碗って全部に銘があるから。だったら「物語」のあるうつわをつくったら、もっと生活が楽しくなるんじゃないかと思ったんです。それで「SIONE」を立ち上げました。
SOUQ
「SIONE」さんの作品の特長は、やはり端正なこの線ですよね。
河原
この線は仏画からきているんです。
SOUQ
なるほど! もしも、先生の作風が細密な仏画じゃなかったら…。
河原
まったく違う線になっていたと思います。特に、仏様の指は抑揚のない線で描かないといけないんです。はじまりも「ため」があるのはだめ。
SOUQ
「ため」があるとよくないのですか?
河原
よくないというか人間味が出てしまうんですよ。特に仏画というのは指とかの曲線の太さが違うと 少しでも線が歪んだりしていると違和感を感じるんですよね。拝んでいる方がわれにかえってしまうんです。それで抑揚のない線を書く様に学んだのですが、うつわも使う人がそこに物語をプラスしていただくものだから、変に「我」が出る線よりも抑揚のない線のほうが美しいと感じるようになりました。でも、うつわもそれとよく似ている気がしていて。
SOUQ
作家の想いが入り込み過ぎるとよくない。
河原
トゥーマッチになる気がして。使う方が自分の気持ちを乗せていけるように。そういうこともあって、抑揚のない線を今も描き続けているんです。
SOUQ
では、金色も仏画から?
河原
そこは関係ないですね。白い地肌が一番、きれいに見える色にしたいなと。
SOUQ
精神統一が求められるから、悩みごとがあると線がブレたり。
河原
悩んでいる時は筆をあまり持たないようにしていますね。筆は普通はふにゃふにゃですけど、気持ちを入れると硬くなったりやわらかくなったりするんですよ。調子がいいと言うことを聞いてくれる。それと変な言い方ですけど、うつわを見つめていると「見えてくる」んです。
SOUQ
見えてくる?
河原
下書きのようなものが浮きあがってくるので、それに清書する感じですね。目で見るというより、心で観る。でも、こういうことをいうと不思議ちゃんみたいに思われるのか、よくカットされるんですけど(笑)。
SOUQ
「SIONE」さんの作品は端正な線と、あと、余白も印象的で。
河原
絵を主張し過ぎると料理を盛りつけるスペースがなくなっちゃうというか。なので、余白も大事にしています。
SOUQ
確かに、余白がある方が想像が膨らみます。
河原
そうですね、文章の行間のような感じ。
SOUQ
物語を込めた「読む器」ということで実際に文章を添えた作品もありますが、言葉が先なのか、絵が先なのか。どちらなんでしょう?
河原
シリーズによりますが、言葉が先のものもあります。
SOUQ
文章はご自身で書かれているんですか?
河原
そうです。日本文学部卒だからか文章で表現するのはとても好きなんです。
SOUQ
経験を余すところなくですね。伏線の回収がすごい(笑)。
河原
もうお腹いっぱいでしょ(笑)。中学からずっと書いているから、文章を書くのは私にとってめちゃめちゃ自然なんです。うつわから入るとかたちは制限されてしまうんですけど、物語だと無限大じゃないですか。そういう状態をつくっておけば、狭い視野でつくるよりも広がりがある。
SOUQ
広げたものを凝縮する感じですね。
河原
その方が固定概念のないうつわをつくれるのかなと思って。
SOUQ
生地は有田で。
河原
はい。京都というのも考えたんですけど、有田ではきれいな土にも感動していたので。他に長崎の波佐見でも造っています。熊本でとれる天草陶石という陶石なんですけど、ちょっと粘り気が少ないんですね。なので、練り方が違うんですよ。京都の人がつくろうと思っても、へたってしまってつくれないということがあって。それと、修業時代にどんどんシャッターが閉まってしまってしまう有田の街並みを見て、腕利きの職人さんがいっぱいいるのにもったいないと思ってしまって。京都だと京焼になっちゃうのもなんか嫌だし、いろんな産地の色んな技術を掛け合わせながら、新しいメイド・イン・ジャパンみたいなものがつくれたらいいなと。それで、有田の友人の窯元に企画書を持っていったんです。
SOUQ
本当にたくさんの方が関わっていらっしゃいますよね。
河原
有田では型師さん、そして生地をつくる会社が2社。で、ろくろの方が一人いらっしゃって、あとは釉薬と焼成を担当する窯元。転写の職人さんもいます。
SOUQ
人にまかせる葛藤とかは。
河原
もちろんありました。一人で立ち上げたので、最初は全部やらないといけない。そのなかで少しずつ人にお願いしてきたので、それはまず私の第一関門でもありましたね。最近はあまり行けていませんが、有田には足繁く。例えば、このうつわは釉薬を霧状にしてかけているんですけど。
SOUQ
確かに、よく見ると表面がマットな感じですねプツプツしていますね。
河原
最初はこれが全然そろわなくて。なぜかというと白いうつわに白い釉薬をかけるから、すぐに染み込むんですよね。少しかけたのか、たくさんかけたのか分からない。だから、ツヤツヤのがきたり、ざらざらのがきたり、クオリティがそろわない。赤いインクを混ぜて、色でコントロールするという手法を始めたらうまくいきましたが、安定するまで半年はかかりました。細かくクオリティの話をしながら、信頼関係つくっていくのは、本当に遠距離恋愛みたいな…(笑)。
SOUQ
安定期に入るまでは大変という(笑)。
河原
そうそう(笑)。電話もいっぱいして職人さんを励ましたりとか。やってもうたーみたいな時もありましたね。
SOUQ
海外での展示など、どんどん活動の場を広げられていますが、河原さんがこれからしてみたいことって。
河原
より自由に。あ、今までも自由だったようには見えると思うんですけど、気持ち的に、より自由になれたらいいなぁというのがあって。
SOUQ
そうしたら、また新しい作品が生まれそうですね。
河原
うんうん。ご縁のなかでできていくだろうし、自分の精神のブラッシュアップにもなると思うから。次は全然、違う物をつくってもいいですしね。